努力して感動に辿り着く

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

努力の定義

努力の先には感動が待っている。

僕の中で努力という言葉はこのように定義している。

□□□□□□□□□□□□□□□□
今まで出来なかった事をできるようにする事
□□□□□□□□□□□□□□□□

芸術の世界で自由な表現を生み出す為には、毎日の努力は欠かせない。

 

努力をする事でどんな事でもできるようになる

努力が辛いと思った事は一度もない。石を削る技術も、削るだけだと思われがちだけど、相当な技術が必要になる。今でも出来ない事が沢山あるから面白い。

長い年月をかけて、〜出来なかった事ができるようになった瞬間〜に大きな感動が生まれるんだ。初めて石を真っ二つに綺麗に割る事が出来た時の感動は今でも鮮明に覚えている。

石の真ん中に線を引いて、タガネというトンカチの頭の部分で、何度も上から石を叩き、筋を入れていく。筋の入れ方を間違えると失敗し、叩き方や力加減も間違えると割れてしまう。

親方達は、ビックリするほど綺麗に真っ二つに石を割る事ができる。定規を当てても狂いがない程、石が綺麗に一直線で割れるんだ。もちろん、機械などは一切使わない。

 

□□□□□□□□□□□□□□□
簡単そうに見える技術程難しい
□□□□□□□□□□□□□□□

綺麗に割る事ができるようになるまで、数ヶ月かかった。そりゃもう毎日、何度も失敗する。目の前の職人達は当たり前に身につけているスキル。同じようにやっても、出来ない。理解はしているつもりだけど、割れない。だから、理解は出来ていない事になる。

 

自分の何がいけないのか?常に答えを探しながら出来ない事をできるようにする為に、努力を続けた。その努力がなかなか実らないと、心が苦しくなり、自分を責めたくなってくる。「なんで俺はできないんだよ!」ってね。

初めて努力して感動に辿り着いた瞬間

石工の弟子入りをして初めて目の前の鉄平石が真っ二つに割れた瞬間、喜びのあまり叫んだ。作業を中断して「うおーーー」って叫んで親方に怒られた。

努力して感動に辿り着いた瞬間を、得る事ができた時の喜びは大きい。今でも映像のように覚えているくらい鮮明なんだ。

その時から僕は、できない事をできるようにする為に、色々な事に挑戦するようになった。壁に石を貼る為に、左官の技術が必要なら左官屋に頼まないで、自分で覚えてやっちゃおうとか。でも、これがまた、全然覚えられない。(笑)「お前はいつから左官屋になったんだ!怒」と、親方に怒られながらも、一度決めたらできるようになるまで努力する。結果、左官屋に頼む必要が無くなり仕事がうまくいった。

 

不思議と、努力すると何でもできるようになるんだ。

たまに、努力するのを嫌がる人もいるけど、それは努力の定義が違うと僕は思う。努力って、やらされる事ではなく、自らが自発的に覚えたいから頑張るもの。嫌々、努力するなんて事は、そもそも努力ではない。それはただの嫌な作業に入るだけ。

 

 

仕事でも、ビジネスでも、自分がこういう風になりたいたいなぁと思う事ができれば、今は出来ない事でも、努力すれば必ずできるようになる、それが人間の凄い能力だ。

 

多くの感動を求めて動いてみる

 

どんな事でもいい。自分の理想を描きその為に努力できるものを見つけてみる。できるようになってしまうと、ほんと当たり前になってしまうけど、できるまで一生懸命努力している期間が、財産なのかもしれない。そして、実った時の【感動の瞬間】も財産だ。一生忘れない感動の瞬間。

自分の出来ない事をできるようにする。
その為の努力。そしてその先にある感動。

1%でもいい。昨日の自分を越えよう。
そして、感動に辿り着こう。Ishitaro

 

 

 


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*