
最近は本当に自由に生きている自分を感じている。
好きな時に好きなだけ石を砕き、作品の創作に没頭の日々。そして
巡り合わせが生まれたタイミングで人に会い、一緒にお酒を
飲みながら未来を語り合い、幸せな時間を生きている。
会わない時はしばらく人に会わないで、自分の心が喜ぶ事のみを探して行動してみる。
行ったこともない場所に足を運ぶ事を意識し、新たな場所での出会いや語りの場を味わってみる。
同じ日本にいても、その場その空間から得られるものが全く違う事を感じるからホント面白い。
そんな日々を過ごしながら、夢について考えてみた。
人間は大きな失敗をしてしまうと、夢と言うものを語れなくなってしまうだよな。そして、
情熱の灯が段々と小さくなってしまうのかもしれない。僕はそんな経験を何度もしてきた。
このブログを見てる人の中でも、もしかすると夢を描いて突き進んだ結果、
失敗をしてしまい、なかなか立ち直れることができない経験をした人もいるかもしれない。
今まさに諦めそうになっている人も中にはいるかも。
夢を語り、失敗をしてしまうと同じ夢を語るたびに軽蔑のまなざしで見られるようになってしまうんだよね。
「君はほんと、口ばっかりだな。」「いい加減、現実を見なさい。」とか言われて・・・
失敗の大きさに比例して、その言葉の数は増えていく。その結果、失敗する前の頃のように
【情熱いっぱいに未来を語る】という事ができなくなってしまう現象が起こってしまう。
こうなってしまうと、マイナスの連鎖に突入してしまうから最悪だ。その先にあるのは自信喪失。
一度口に出した夢は、絶対に実現するまで諦めてはいけないという信念を僕はもっている。
諦めたらそこで、終わる。夢を諦めない限り、ゴールテープはずっとあなたが辿り着くことを待っているんだ。
マラソンにはスタートと、ゴールがある。その距離は42,195㌔
走るのが辛くて、途中で歩いてしまっても、確実に約束されているゴールは未来に存在する。
そこを疑う人なんていないはずだ。当たり前に存在するスタートとゴール。
僕の中では、【夢】と【マラソン】は全く同じカテゴリーだと定義している。
本気で叶えたい夢が見つかった時が、スタートラインだ。そして、ゴールは夢が実現する瞬間だ。
それを否定してしまうという事は、ゴールはないマラソンが存在する事を断言しているに等しいと
僕は勝手に思っている。だから前進あるのみなんだよ。どんな時も、前進あるのみだ。
もしかすると、全力で走り続けていた矢先に予期せぬ事が起こり、足に怪我をおうかもしれない。
足がダメなら、ほふく前進でもいい。回復の為に休むの大事だ、とにかく一歩一歩づつ進もう前へ。
自分が決めた夢は絶対に逃げない。逃げようがないんだよ。逃げるのは自分で決めた夢をあきらめようとする貴方だ。
自分との約束を守れなくなった瞬間、あの時に描いた夢は消えてしまう。
夢なかば諦めてしまう人も沢山みてきたけど、
本当にもったいないなぁと思って悲しくなった事が過去に何度もあった。
もうあと一歩でお前の夢、叶うじゃねえかよ!と、ぶん殴りそうになったこともある。
世界のブランドになるんだ!と夢を掲げて12年。まだその夢の実現に、僕も届いてない。
一国の王女様に会う夢や、海外でのエキシビジョンを開催する夢は
叶ったが、それはあくまで数ある夢の中の二つ。
一番大きな夢は、まだまだ夢の途中だ。
でも、夢の途中だから人間は夢中になれるんだよ。
そして夢中になってる時の情熱は凄いエネルギーを放出する。
今、何かの夢に向かって今を一生懸命頑張っている人には、諦めないで!と伝えたい。
3年頑張っても駄目だったとか、5年頑張って無理だったから諦めたとかいう人に会うと悲しくなる。
僕は12年、諦めずに前進している。こんな奴もいるんだなと、思ってもらえたら嬉しい。
明日の夢を叶える事ができるのは、今日の自分だ。そして今日の凄いは明日の普通になる。
それが夢実現のサイクルだと僕は思っている。叶えてしまえばホント普通になる。
あれだけ、描いた夢も実現すると当たり前になる。だから、夢は小さく叶えながらも、
大きな大きな夢も同時に持つ必要があるんだ。他人が不可能だと、言われるくらいの夢の方が、
やりがいと、挑戦のしがいがある。
周りがなんと言おうが、不可能だと言われようが、
自分が心の底から実現できるんだ!と思えば絶対いけるんだって!
何故ならば、自分の夢のゴールはマラソンと全く同じで確実に存在するんだから。
辿り着くまでのプロセスは、大きな夢になればなるほど、
乱降下も負荷も、比例して大きくなるのかもしれない。
でも大丈夫。後退の次には前進だ。下降の次には上昇だ。絶望の中には希望だ。逆境の中には種だ。
夢と希望がある未来に敗北なんて存在するわけがない。
自分を信じよう。そして自分との約束を果たそう。Ishitaro