学歴無し カネ無し ツテ無し コネ無し
女房、子供有り
病気 借金生活の状況から目指し
人生懸けて掴んだ芸術の夢
マイナスから始まった人生だった
絶望の中で見つけた一点の光を信じて
歩み始めたあの日
そして、自らの人生を信じ
石を砕き続けてきた日々
数え切れないほどの否定の数々
石を砕き続けて10年目
描いてきた
念願の夢が実現した。
挫折の連続の先に掴んだものを経て
初めて目の前に
自らが歩む道が見えた。
あの時
暗闇の中で見えた一点の光は
10年の歳月を経て
確かな光の線として
未来へと続いている
そして僕はやっと
人生のスタートラインに
立つことができた
自分との約束を果たす為に
~石から無限大の可能性に挑戦~
Ishitaro
※この作品は全て石でできています
~石から無限大の可能性に挑戦~
僕は20歳の時に
石の現場職人の道を歩み始めた。
10代から社会に出て仕事をし
運送業や産業廃棄物業、
住み込みで建設業を経験してみたものの
どの仕事も
長く続けることができないでいる
中途半端な人間だった。
世間は僕に対して
まるで社会のゴミのような扱いをした。
「お前はクズだ、ゴミだ」
「中卒は頭がないから身体で稼ぐしかない。」
現場ではそんな罵声が飛び交う日々。
「俺はゴミなんかじゃない!」
心の声を押し殺しながらも
自分の進みたい道というものが全く見えず
自分自身の価値を
見つけたくて必死に模索していた。
「落ちこぼれの人生はもう卒業したい」
そんな想いを抱えながら、
20歳の時に石職人の仕事に出逢った。
様々な形をしている綺麗な石達を、華麗に砕き
立派に仕上げていく石工という職業に
僕の心はどんどんと魅了されていく。
石を手にした瞬間
硬さ、柔らかさ、石種、石の層やクセを読み取り
大中小の石のバランスを取りながら
立体にもこだわりながら加工していく石工の技術は
まさに芸術だった。
石職人として腕を磨く一方で
ふと気になったのが捨てられていく石の廃材達。
高いお金で買い付けをした美しい石達も
施工完了後に残った廃材は
お金のかかる産業廃棄物でしかない。
ゴミはやっぱり
ゴミのままなのか?
石のゴミが、自分自身と被って見えてしまった。
この廃材利用して新たな価値を生み出せないものかと
そのことを考えては忘れ、
思い出しては考える日々を過ごして二年。
ある現場の一服中に
ずっと頭に刻み続けてきた
石から無限大の可能性に挑戦という
リアリティを感じる瞬間が訪れた。
小さな石クズをトンカチで砕いていたら
約3ミリの厚みできれいに剥がれた時
この廃材で
絵を描いてみたらどうだろう?
突如閃いた。
その日から廃材は自宅に持ち帰って
作品の創作の為に使い始めた。
ある晩の事
石の廃材達は一輪の花へと生まれ変わった。
言葉では言い表せない
感情が生まれた
社会からゴミと呼ばれてきた
コンプレックスの塊だった人間が、
一輪の花を誕生させることができた瞬間。
たくさんの涙が溢れた。
悔しさからの涙でもなく
悲しさからの涙でもない。喜びの涙とも違う。
人生で初めて流した大量の涙。
それは間違いなく、
希望から生まれた涙だった。
人生で初めて自分の
存在意義を感じる事ができた瞬間
この時僕は深く心に誓った。
【非常識を常識に変える人間になる】
さっそく
石の花を職場の人たちに見せたが
周囲の反応は冷めきっていた
「そんなに甘い話はない。こんなんで
食っていけるわけがない。」
馬鹿にされることもあった。
しかし、
どんなに否定をされても作る事を諦めなかった。
世間から見れば落ちこぼれで
ゴミ扱いをされてきた人間が
石のゴミをアートへと昇華させ
世界へ羽ばたかせることができたら
自分の中で何かが大きく変わる予感がしていた。
現場職人として、製作者として
日々腕を磨く鍛錬をしながら
新たな期待と夢がスタートした。
しかしそれは喜劇でもあり悲劇でもあり
創造していた以上の険しい試練のスタートだった。
【人生で初めて死を意識した瞬間】
2005年
女房と子供を抱えながらにして
建設業石工の独立の直前で
【塵肺】という職業病にかかってしまう。
医者には
このままの生活ではそのうち結核になり
40代で死ぬと宣告をされる。
独立準備が進んでいた夢は一瞬で途絶え
病気が一気に進行してしまった。
収入ゼロ、借金あり、寝たきり状態になり、
住まいも市営団地に
引っ越さざるをえない状況に追い込まれた。
真剣に自殺を考える日々が続いた。
働けない体になってしまった自分の運命を恨んだ。
そんな状況の中で
唯一自分ができることを必死に考えた。
石のゴミで絵をつくる事。
できることは
その一つだけしかなかった。
美大も芸大もでていない。
それでも覚悟を決めた。
僕は石で絵を描く芸術の道で
生きていく事に挑戦する。
自分の可能性を信じたかった。
そして
自分がこの世に
生まれてきた意味を確かめたかった。
そうした中、僕の芸術人生は始まる事になる。
~出口のないトンネルは存在しない事を信じて ~
石から無限大の可能性に挑戦
それから始めた活動は
お金持ちに会いに行く事だった。
お金持ちから見て、
まだ世にない作品がどのように
映るのか知りたかった。
来る日も来る日も、人に会っては
お金持ちに合わせてくださいという活動を続ける。
実際に活動をしてみて
現実の壁に何度もぶつかった。
人に会うのに経費が嵩む一方で、
体もまともに動かなくなり
借金のスピードも加速していった。
家賃は10500円だったがその家賃すら滞納し
借金の取り立ての電話に追われる日々を繰り返す。
ティッシュに醤油をつけて、ガムのようにかみ
大量の水を飲む作業を繰り返す事で
空腹をみたしていた。
スーパーに行って試食コーナーの試食だけで
空腹を満たすこともたくさんした。
しかしそんなごまかしもその場凌ぎで
そんなに長く持ちこたえることもできない。
俺の夢はここまでなのかな。。。
いや、どうせくたばるなら、
目一杯に行動して前のめりにくたばろう。
そんな絶望と葛藤の暗闇にいる中で、
一生見失う事がないぐらいに強烈で、力強く、
決して夢を諦めさせない
希望の光を見せてくれた出逢いが生まれた。
【石の芸術の誕生】
知人のご縁で
突然のタイミングで
ある方との出会いが訪れた。
僕がが語る夢をひたすらに聞き、
その方は最後にに口を開いた。
”君は世界のブランドになれる”
。。。。。。
衝撃が走った。
どうして初対面の人間に
こういう事を言い切れるのか、
理解ができなかった。
どうにもならない様な
生活状況の中、僕に発せられた言葉。
”どうせ俺の今の状況をわかっていやしない”
そう思って全てをさらけ出した。
今の借金の状況のこと、 女房と子供がいること、
部屋はカビだらけのボットン便所の市営住宅で、
たった1万円ほどの家賃も滞納し続けていること。
それらの全てをさらけ出したうえで
改めてその人に質問をした。
「こんな状況でも世界ブランドになれるのですか?」
「本当に僕の夢は叶うのですか?」と。
絶望の中で、もしかしたら、
見えるかもしれない希望の光りを求めた
渾身の質問 だった。
とにかく前に進み続ける希望が欲しかった。
その方から返って来た答えは、
想像を遥かに超えて確信に満ち溢れたものだった。
「どんな逆境にいても人はなりたい自分になれる。」
「君は世界のARTISTになれる」
これまで何の取り柄もなく
「落ちこぼれ」と レッテルを貼られた僕が、
やっと自分自信に 価値を見つけた瞬間
僕だけが持つ
世界にたった一つのブランドを見つけた。
一生をかけてでも宝物にしていきたい。
このブランドを失ったら僕は、
きっとこれからもずっと落ちこぼれの人生だろう。
~無限大の可能性に挑戦したい~
決して揺るがない決意を胸に最燃焼した。
恩師との出会いから4ヶ月間
三畳の工房の中に籠り
一心不乱に石を削り続けた。
僕は必ずなりたい自分になる。
一生懸命に希望を信じて
創作をし続けた。
いつの日か
こんな状況からでも
描いた夢を実現する時が来た時
必ず人の役に立てる物語が
完成しているはずだ。
未来、僕の作品を国内外の
凄い方々が所有をしてくれ
海外で盛大な個展を開き
海外メディアから取り上げられるようになったら
~人はどんな状況からでも
なりたい自分になれる~
というメッセージを発信しよう。
そのような事を思いながら
石の粉だらけになり
止まらない空咳を我慢しながら
ひたすらに
石を砕き続けた
生きる動機と
未来への希望のみが
僕の手をひたすら動かせた。
そして
富士山、花、蝶々などを描いた
一枚の作品が完成した。
僕の初代作品【日本文化 和】が
この世に産声をあげた瞬間だった。
その作品から名刺をつくり、
借金総額が1000万を超えてもなお、
石のアートを一生懸命に、人へ伝え続けた。
1000万の借金は当時の僕にとって
とてつもない金額だった。
しかし、前へ進むしか、道はなかった。
いくら振り向いても
後ろには、夢は存在せず、未来しか存在しない。
諦めきれない理由を背負って、
ひたすら活動を続けた。
毎日が挫折と限界の連続だった。
どんな時でも
初代の作品を見るたびに、
限界の中での一歩を踏み出す勇気をもらった。
人間が
限界だと感じた境界線を超えたとき、
神様というのは手を差し伸べるのかもしれない。
そこから僕に、
度重なる奇跡が起こり始める事になる。
【芸術家への第一歩】
これを実現させる第一歩を
踏み出す機会に 恵まれた。
世界的にも名の知れる不動産王、
ロバート・アレン氏との出逢いが生まれ
所蔵してもらうことになる。
これをきっかけに
少しづつ作品が評価されていった。
世界各国の大使館や
特命全権大使からも、
作品創作案件を頂くようになった。
そして、当時最年少で
文化褒賞も頂くことができた。
そして大きな転機になる出逢いが訪れた。
薬石との出逢い。
お世話になっていた方のおかげで
日馬富士関にアートを渡す事が実現し
第70代横綱 日馬富士関が所属する
伊勢ケ濱部屋の親方とのご縁により
薬石という存在に出逢えた。
伊勢ケ濱部屋の土俵の下に埋まっている
世界各国から集められた9つのエネルギーの高い石。
その薬石を親方から頂いた事がきっかけになり
何万年何億年と時代の進化と共に形成されてきた
薬石の素晴らしさに僕は魅了されていった。
十数年培ってきた石工の技術を薬石にぶつけ
初めて薬石のアートが完成し
伊勢ケ濱部屋が所蔵してくれた
そして
薬石のアートがきっかけとなり
念願の海外へと進出する事が実現した
香港湾仔ロータリクラブ25周年
アニバーサリーライブオークション落札
英国Ladh Gallery 主催
プライベートアートショー参加
香港初個展開催
香港チャリティレセプション
初記者会見 in 香港キークラブ
貴重な海外を経験させて頂き
10年の人生を改めて振り返ることができた。
そして僕はやっと
本当の意味で芸術人生の
スタートラインに立つことができたのだ。
沢山の人の否定や応援
口だけではなく
利害関係なく支えてくれた方々のおかげで
僕は地に足をつける事が出来た。
この経験を通じて
~人は必ずなりたい自分になれる~ということを
今を一生懸命頑張っている人達へ
届けると同時に、
今まで描いてきた未来を
一生懸命の努力で
自分自身でも証明していきたいと思っている
夢って、簡単に叶うものではないのかもしれない。
大きくなればなるほど
描いた理想と現実のギャップに苦しむ回数が増える。
言葉では言い表せない程の
自分との葛藤に苦しむこともある。
そんな状況の中でも
僕は自分の人生を夢中になって歩みたい。
夢の途中だから夢中になれるんだと思っている。
そして夢中になれるほど
人生で打ち込むものがあるからこそ
夢というものは実現するのではないだろうか。
この物語がいつの日か
夢をもって生きている人
何かを目指す人や、夢を諦めそうに
なっている人のお役にたてますように。
人生二度無し。一度きりの人生
悔いのない道を。
どんな状況からでも必ず
人間はなりたい自分になれる。
想い続け
挑み続け
諦めない事
希望ある未来には敗北なんて存在しない事を信じて
僕は歩み続ける
自分との約束を守る為に
Ishitaro
∞人生にありがとう∞
最後までお読み頂き
心から感謝申し上げます。
【一年で描いてきた全ての夢が実現した石の力】