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芸術家を名乗り沢山の人に会いに行く
24歳の時に芸術家として独立してからは、
とにかくARTを知ってもらう為に、色々な所に顔を出す活動をした。
自分で名刺を作り、芸術家を名乗りながら
仕事の内容を聞かれた場合に見せる為の、創作写真を5枚を左の内ポケットにいれながら
とにかく色々な所に積極的に参加を心掛けた。
どこで名刺交換をしても
「石の芸術家?石の彫刻家ですか?」と
聞かれる。その度に、写真を見せて説明した。
反応は全く無し。泣「ふーん…」で、終わってしまう。
【お金持ちで、芸術作品をコレクションするような人なら、芸術の事を理解しているはずだ。
そのようなお金持ちから見て、石のARTはどのように思うだろうか?】僕はこの答えを知りたかったんだ。
3000円位の交流会に何度も出て、ようやく気がつく事ができた。
〜ここには、お金持ちはいない。〜
借金をしてお金持ちを探す活動
どうすれば、お金持ちに会う事ができるのか?
自分の中で色々と悩みながら考えた結果
〜最低1万円から5万円位〜お金がかかる場に
足を運ばないと会えない、という結論だった。
そして、世界に出ていく為には大使館のコネクションが必要だという事も理解した。
収入も無しで貯金も無い状況だったけど、
心強いパートナーが五人も、僕の側にはいてくれた。アコムやプロミス等の消費者金融だ。笑
お金持ちが集まりそうな場所を、知人から聞いたり出会った人から聞いたりしながら様々な所に顔を出した。足を止めている場合ではなかったからだ。借金は膨らむ一方だったが、未来しか見なかった。
活動をする中で、本当にいろんな経験をした。
チャンスが訪れた瞬間
どれだけの経験をしてきたかは、別途ブログで書こうと思うが、活動を続けている内に1つの出会いが僕に訪れた。確か、会員制リゾートスパのレセプションパーティーの時だったと記憶している。
隣にいる品の良い女性と名刺交換をする機会があり、石の写真を見せた瞬間に驚きの表情を見せてくれた事を今でも鮮明に覚えている。
石について、色々な事を質問してきて、
「これは凄いわ!」と、有難い言葉をもらい、僕は飛び跳ねそうになったんだ。
その女性が、まさか世界中の大使館に深い繋がりを持つ国際交流団体の理事長だという事は、名刺をもらっても全くわからなかった (笑)
驚きのいきなり大使館案件
出会いから、数ヶ月して突然その女性から電話が鳴り「ベラルーシ大使館の特命全権大使の娘さんに作品を創ってもらえないか?」と、依頼を受けた。
トクメイゼンケンタイシ…?って何だ?
調べて見てビックリした。外交官の最高権威…
の、娘さん。。いきなり超がつく責任重大な
案件が飛び込んできたのだ。
〜やるしかないでしょ!〜
納期に向かって、ベラルーシの文化を学びながら作品創作に没頭した。
もしかしたらチャンスが到来したかもしれない。そう信じながら一生懸命創作を続ける。
しかし作品がうまくできず、何度も何度も作り直し大使館のパーティ開催日の数日前になっても作品が完成していないという悲惨な状況に追い込まれていた。
必死の創作の中で気づいた大切な事
あの時は、本当焦ったなぁ……
もぅ頭の中がパニックになっている位
慌ててしまった。慌ててしまい、作業が空回りして進まなかったのだ。。
パーティ開催前日の夜中…
三畳の工房で、僕は未完成のままの作品をどうするか悩んでいた。明日は大使館パーティ。。。何ということだ。泣
今から昼まで頑張ってもボンドも固まらない。
作品のクオリティは悪い。全然満足できない。
(明日は、断るしかないのかなぁ)
そう思った時に、娘さんの事が浮かんだ。
お子様が求めてる作品を、渡す事ができないのは1番申し訳ない事。子供を悲しませてしまう。
作品の完成度は、度外視して、
お子様の事を想って、今できる全力で魂を込めて創作しよう。
徹夜で創作に没頭し、作品が出来た。
完成度で言ったら3%位だったかもしれない。
でも、真剣に創作した。
これからが勝負。大使館に作品を届ける為に
ボンドだらけの手を一生懸命に洗い、作業着からスーツに着替えて、貼り終わったばかりのStone-Artを抱きかかえるようにしながら電車に飛び乗り、ベラルーシ大使館へと向かった。
パーティ開催時間ギリギリに滑り込みで到着。
初めて大使館の扉を開く
初めて大使館という場所に足を踏み入れた瞬間。神聖さを感じる空間には上品な御年輩の方々も多数参加され、大使夫妻、お子様に
無事に渡す事ができた。
作品を見せた瞬間、娘さんがキラキラしながら「わぁ!」って顔をして笑顔でStone-Artを抱きしめてくれた時、何とも言えない悦びが込み上げてきた。
芸術家って素晴らしい職業かもしれない!
そう思えた瞬間だった。
大使館のコネクションが広がる
理事長とのご縁、大使館がコレクションを
してくれた9年前のあの日から、大使館のご縁がどんどんと増えていった。
色々な大使館がコレクションをしてくれる事で、大使館でレセプションも開催させて頂く経験もできた。海外での初個展時には、特命全権大使が自ら、コメントを書いてくれた。
夢中になって活動を続けていれば、必ずいつかチャンスが訪れる。この事を、日本中の芸術家に届けたい。チャンスが訪れるまで、絶対に諦めずにコツコツと頑張る事。
チャンスは絶対に掴めるもの
経験上、チャンスについて
1つだけ、断言する事ができる。それは
チャンスとは
【チャンスを掴む】か【チャンスを諦める】
の、二択しか無いんだよ。
掴めないチャンス等、訪れない。もぅ無理だと諦めた瞬間にチャンスは遠のいてしまうんだ。
だからその時まで、諦めずに続けて欲しい。
ご縁から頂いた役職と芸術家としての使命感
あの日から9年、光栄な事に
僕は今、お世話になった国際交流団体の
理事を仰せつかっている。そして、日本で
一生懸命アーティスト活動をしている、次世代のアーティストを応援する、アーティスト協力機構の副代表も務めさせて頂いている。
僕は芸術家として、まだまだ駆け出しの身だ。夢の途中だから夢中に活動をしている。
自分が大好きな事を追求しながら日本で芸術活動を頑張っている人と出会い、仲間を増やしていきたいし、そんな仲間と芸術の未来についての夢を沢山語り合いたい。
語り合った夢は、必ず現実になる。
それを証明するのが、芸術家としての1つの
ミッションだと、僕は思ってる。Ishitaro