創造力を高めて閃きを生む

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石のゴミを組み合わせて感動を表現したいと思った12年前。初めて、ブラジルの砂岩で表現した一輪の花。あの瞬間の喜びは今もずっと、記憶に残っている。

 

 

今でも、常に頭の中には世の中にはなかったものを誕生させたいという思いが強くある。

芸術家は、日常の全ての経験が創造力を高めるきっかけになるのではないかと僕は思っている。人との出会いや、心の感情、良い事も悪い事も含め、経験する全てが表現に活かされる。

自分と対話をすればするほど、突然心が踊り、創作意欲が湧く瞬間がある。僕はこの瞬間をとても大切にしている。今すぐに石を砕いて作品を創作したくて、たまらなくなるんだ。

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創造力を高める為に意識してる事
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芸術家は、自由に作品を表現できる。けれども自由の中で、何を表現したら良いか悩む人も多いと思う。そんな時は、日常生活の中で自分の心が喜ぶような事をしてみるといい発見があったりする。

僕はよく、川に行ったり一人で公園に行ったりする機会を作るようにしている。特に太陽の光が強い時には、不思議と自己対話が進み、頭の中にある眠っていた何かが突然閃きのように、生まれる時がある。創造力は、自然との触れ合いの中で磨かれるものなのかもしれない。

 

 

自然の中で自己対話もずっと続く
例えば、ゴミとゴミを組み合わせて感動を生み出す事は可能なのだろうか?と考えてみる。その為に、そもそもゴミというものは何なのか、自分の中で定義をしてみる。ゴミとは、不要になったもの。その不要なものを組み合わせて何かを生み出す事ができたらどうなのだろうか?不要になったものから必要なものを創る事は可能なのか?

 

必要なものが、不要なものから生まれるのであれば創造は可能。でも、必要なものは、必要なものからしか生み出す事はできないのであれば、不要なものの中に、必要なものを探す必要がある。

不要な物の中にある必要?そんなものは、あるのだろうか?いや、不要なものでも、最初は必要があった訳で、不要になったからゴミになったわけだ。では、必要だったものが不要になる瞬間って一体何なんだ?

 

欲しくて買った服に飽きて、着なくなってゴミ箱に捨てる。必要で買ったものが不要になる瞬間。そう考えると、ゴミというのは、勝手に人間が不要なるものだと解釈をして捨てるものになるからゴミ扱いされる。その人にとっての不要なモノ。

捨てた服でも、欲しがる人がいる。不要なものでも必要が生まれる。ジーンズのリメイクがいい例だ。リサイクルショップも、不要なものを組み合わせて価値を生み、必要な人に売る。

となると、結論ゴミとゴミを組み合わせて必要な感動を創造する事は可能になる。世の中の不要なものから価値あるものへ、昇華をさせる事ができる。その為に必要な創造力。頭の中にあるよくわからない無数の点が線になった瞬間にピカ!っと閃くものがある。

 

ゴミから感動を創りたい。そして、それはできるという事を理解してからは、ひたすら技術を磨いた。そしてある日、大きな閃きが突然生まれ、石のゴミで作った一輪の花がこの世に産声をあげたんだ。

 

創造力を高める意識を持ち続ける事が、閃きを生み出すきっかけになるのかどうかは今もわからない。けれども、意識をする事で自然と頭の中にある見えない創造力は高まっていくような気がしている。Ishitaro


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